存在は

Posted on 2009年8月28日

稽古をしていても、
何処まで理解しているのか、
何処まで自分で出来ているのか、
なかなか解かりにくい。

こうした合気道の性格上で、
自分の存在は何になるのであろうか。
指導しながら、自分でもさらなる向上を目指しているのだ。
身近な目標なのはわかるのだが、、、。

どの程度まで出来ているのかをはかる基準があると便利だ。
技の稽古が呼吸力の鍛錬とすれば、
これを簡単にはかる目安として、
体の転換をおいている。
だから、これをすることによって、
呼吸力をためしている。
体の転換で相手を動かせるか、
動かせないかは余り問題ではない。
私を動かせるかどうかは問題ではないのである。
自分の程度を知ればいいのである。
後は、稽古あるのみ。

体の転換のゴールはないのである。
技にないのと同様である。


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